1971 |
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1973 |
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オーナーである紀藤がザ・サーフという名前を命名、設立した当初のロゴ。日本ではまだサーフィンというスポーツはほとんど認識されてなく、サーファー人口はほんのわずか。シングルフィンにリーシュコードは無しという時代でした。しかしザ・サーフは当時からアメリカという自由の国、そしてサーフィンの国を愛し、時代を経た現在でもザ・サーフのコンセプトの中心にはアメリカ、そしてカリフォルニアがあります。 |
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アメリカでスケートボードブームが訪れました。ザ・サーフはスケートボードをいち早く日本に紹介し、スケートブームの火付け役となりました。またスケートボードをアメリカから輸入するのとほぼ同時に古着の輸入を手がけ、今なら超ビンテージものが店頭に並んでいました。 |
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1976 |
1980 |
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日本でもスケートボードは大ブームとなり、ザ・サーフは日本で初めてのプロ・スケートボードチームを結成。日本を代表するプロスケーター、アキ・秋山を育て、シグネチャーモデルも発売しました。その後スケートブームにやや遅れてサーフィンブームが訪れ、大ブームとなります。 |
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スケートブームはやや落ち着きを見せたものの、サーフィンブームは本格化。このロゴはカリフォルニアのデザイナーによってデザインされたもの。 |
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1981 |
1985 |
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カリフォルニア・ニューポートビーチにザ・サーフの直営店をオープン。店長に当時のトッププロ、ダン・フレッキーを迎えました。また日本では、当時は画期的だった100%スポンサーとして、糟谷修自のサポートを開始。 |
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アメリカの直営店をニューポートビーチからハンティントンビーチへ移転。店長はアーサー・ショージ。また、トム・カレンをライダーとして迎え入れたのもこの頃。 |
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1988 |
1991 |
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トム・カレンの活躍によって、ザ・サーフの名は世界的なものになりました。この年、東京店は5階建てのビルに。 |
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ハードコアなイメージとともに、ストリートスケートがブームに。このロゴは、スケートボード、スノーボードのオリジナルロゴとしてデザインされました。 |
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1993 |
1994 |
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このロゴデザインを手がけたのは、元プロスケーター、ジョン・トーマス。世界有数のスケートファクトリー、ワールドインダストリー社のMACでデザインされました。 |
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当時のザ・サーフのオリジナル・サーフボード、ウェットスーツなどに多く使用されていたのがこのロゴ。オールドイングリッシュと呼ばれるこのデザインは、幅広い年齢層のファンを持つ人気のロゴです。 |
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1996 |
2000 |
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1980年代初頭にザ・サーフのオリジナルブランドとして誕生。1994年にトム・カレンがUSオープンで乗った5'8"のエッグノーズはdejavu、また当時カリフォルニアで修行中の真木蔵人のボードもdejavuでした。 |
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ブラジル人のグラフィックデザイナー、ニュートン・バプティスタにより誕生したこのロゴ。彼は「BLACK FLAYS」のデザインも手掛けています。 |
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